昨日、世田谷区内で重度障害者施設を運営されている皆様からの相談を世田谷区と一緒にお話しを伺いました。

世田谷区内には、こうした施設はどの地域も不足しています。一方で、設置を進めると反対が大きく何度も断念を繰り返しています…。

地域の声を丁寧に拾い、反映させていくことは街づくりの第一歩。これは全てとは言えないまでも、出来る限りの努力の後があちらこちらで見受けられます。保育園や高齢者施設、公園などは必ず上がってくる要望でもあります。,小松ダイスケ ,小松大祐 ,東京都議会議員 ,世田谷区 ,自民党 ,重度障害者施設 ,街づくり

しかし、社会全体としては必要な施設でありながら中々受容されにくい施設もあります。こうした施設を行政としてどうしていくのか。そんなことを考える時間となりました。

〜閑話休題〜

母は体育の教員でした。運動が得意な母は子供の頃の自慢でした。リレーの選手になれたり、運動が得意だったのは母のDNAだと思っていたので。

私が子供の頃は桜丘中や砧中に勤務していて、
当時は残業や部活で休日出勤の時には、
時々学校に連れて行かれました。

そんな母は、私が高校に上がった頃
体育の教員から障がい児学級の担任に希望して異動しました。

何がきっかけだったのか聞いたことはないのですが、
使命感を持って、再雇用含めて担任を20年以上勤めてました。

重度障害や知的障害の子供を育てながら
80代90代になられた親御さんが
親なき後を強くご心配をしています。

「この子を残してはあの世にいけない。私と一緒にと考えてしまう。」と施設の方に訴える親御さんの心情を慮ると、胸が張り裂けそうな思いでお話を伺いました。

誰もが暮らしやすい社会とは、
こうした憂いを生まないことだな、と改めて。

 

世田谷区内には、昭和30年代〜高度成長期にあたり建てられた団地がたくさん残っています。50〜60年が経過し、新たな建て替えの時期に差し掛かっています。こうした再開発の際に、地域の声だけではなく、行政として必要な取り組みをしっかりと盛り込み、時には住民の皆様のご理解を得る努力から逃げてはならないと思いました。